『社長は、なぜ?その家づくりをしようと思ったのか?』


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わたしが、なぜ?
『健康シラス壁の家』をつくろうと思ったのか?

それは現在小学校2年生の長男が、
さいころの喘息がきっかけかもしれません。

そのころわたしは、
12年間勤めた住宅メーカーを退職し、
父親が社長を務める工務店に専務として
スタートを切っていました。


社長である父親と、
良い家づくりをしたいという目標は同じでも、
住宅メーカーに勤務して、そこそこに実績があったわたしと、
祖父の後をついで、大工の棟梁を経て、
工務店の社長としてたたき上げてきた前社長の父とは、
毎日がが口論でした。


興奮のあまり…
前社長のパソコンを叩き壊したこともありました。
取っ組み合いの喧嘩になったことも…
お互い頑固だったのかもしれません。


『本当は何でも相談したいと思っていても…
 それがなかなか出来ませんでした。』


そんな時期に、長男は喘息を発症。
入退院の繰り返しでした。

ときには肺炎を併発。
家内もつきっきりの看病でした。

夜中に『ゼイゼイ・ひゅーひゅー』咳き込んで、
なんど病院に駆け込んだか。
何も出来ないでいる自分がふがいなく
仕方ありませんでした。


喘息のついて、インターネットや本で調べました。


すると…
いがいとわたしのかかわっている、
家が起因していることがわかりました。



『よい素材を使って家づくりをしたい。』
少しでも、子どもの手助けができれば…


そんな風に思うようになりました。


わたしがメーカー時代
たずさわってきたものとはまったく違うものです。
本物の素材を生かせる職人でなければ出来ません。

その職人を知っているのも、
3代続いている小さな工務店だからこそです。


良い素材をつかっていくには、
腕のいい職人が必要です。
そこで父親とやっとタックルを組んでの
仕事ができるようになりました。


祖父も大工棟梁。
この田村地域では結構有名な腕利きの職人でした。



わたし自身、『ウノドンのお孫さんかい。』
そんな呼ばれ方をしていた時期がありました。
『俺はオレ。』そんな風に思ったときも…



父親も大工棟梁。小さな工務店社長として。
多くの弟子を取っていました。
わたしの家では、わたしが小さいころ
職人さん達とまかないをともにしてました。


そんな職人である父親、
前社長の力を借りて、試行錯誤が始まりました。
3年前、前社長の後をついで社長に就任。

『健康シラス壁の家』が世にでることとなりました。


わたしの想いは…
子育て世代の人たちにも、
本当の良い住まいをしってほしいということです。
健康的で、持続可能な住まいを…


職人が本当に誇れる仕事をさせてやりたい。
そのために、親子三代職人をしっているわたしが、
お客様と職人の仲人役としていい家づくりをご提案したいのです。
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